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インドネシア植林と水田再生 ―熱帯林保全と泥炭湿地再生プロジェクト―

泥炭湿地林を行く

スマトラ、ボルネオ、ニューギニアなどの沿岸部には、氷河期が終わったあとの海面上昇で、広大な湿地が生じた。そこに林が茂り、地表に泥炭を溜め始めた。7千年この方、地表は次第に高くなり、深いところでは10メートルを越える泥炭が覆っている。その上に立つ熱帯多雨林を泥炭湿地林と呼んでいる。泥炭が溜まるのは、巨大な林の倒木や落葉落枝が水漬かりの状態で腐らずに残るからだ。

スマトラ東岸だと、ランポンからリアウまで、幅100キロメートル、長さ1000キロメートルというスケールで広がっている。日本でいうと、青森から名古屋ぐらいまでがすべて泥炭湿地林に覆われている勘定になる。

泥炭湿地林の中のラワン材伐採現場
(泥炭湿地林の中のラワン材伐採現場)

泥炭に小さな水路を掘り、材木を浮かべて出す
(泥炭に小さな水路を掘り、材木を浮かべて出す)

泥炭湿地林を歩くのは日本の里山のような具合にはいかない。巨木で閉ざされた平坦な湿地林では、まったく見通しが利かないからだ。どうやって歩くかというと、内陸の丘から海岸まで地図の上に直線を引き、コンパスを片手に林を突っ切る。先頭の男が腰にロープを巻き、距離を測りながら歩く。平坦地といっても、倒木を乗り越え、潜り抜けねばならないので、実際にはものすごく起伏がある。調査で1日に歩ける距離はせいぜい2,3キロメートルだ。林は樹冠が何層にもなっているので、地表は緑のカーテンで覆われているに等しい。差し込む光は緑色を帯びる。

先頭を行く男たちが長い山刀で、やぶを切り開く。草はまったくないのだが、鋭くて長いトゲを突き出すヤシ類が一杯ある。パラスというヤシは15センチメートルほどの鋭いトゲが密生している。ニボンヤシは鋭い鍵爪のつるをゆらゆらと揺らして、帽子やシャツを引っ掛ける。バランスを壊して、つかまろうとうっかり手を伸ばすのは禁物だ。鋭いトゲが待ち受けている。地表にいろんな形の根が突き出しているのも厄介だ。杭を立てたような根、ループ状のわなのような根、それに巨木を支える大きな板根など。板根と板根の間は、一見判らないが、落ち葉で隠された落とし穴になっていて、うまく根の上を歩かないと、ドスッと落ちる。体のバランスを失わないように、しっかりと歩くのが鉄則である。川に近づくと、ウルシ科の木が増える。これにやられると、肌にぢくぢくしたかぶれができるので、注意を欠かせない。こうした所は、雨季、1メートルを越える水の中に立つ林も広い。時折、小川が行く手を遮り、泳いで渡る破目にもなる。それに、雨季の泥炭湿地林は蚊の密度が空気と同じほどに濃いい。顔の周りに蚊幕が立ち、誰の顔も薄黒く見える。昼飯は飯と蚊を一緒に食う破目になる。

ジャングル歩きは勿論野営が必要だ。荷物運びのキャラヴァンポーター10人ほどが同行する。夕方、野営の準備は料理係りが井戸を掘ることから始まる。やわらかい泥炭だから、1メートルばかり掘るのはわけもない。掘るうちに、黒い水がみるみる穴一杯に満ちる。アイル・ヒタム、黒い水という。河を流れる水もアイル・ヒタムだが、野営地のそれはサラサラしたものじゃなくて、アラビアコーヒーのようにねっとりとしている。湯を沸かすと、やかんの底に厚く有機物が沈む。そういう水で飯を炊く。その間、他のメンバーは、倒木や板根の少ない、平坦地を選び、稚樹を切り均してゴザを敷き、屋根だけのテントを張る。赤黒く染まった飯を食い、薬湯の味のするコーヒーをすすると、少し気力がもどり、水浴をする。衣類は赤く染まるので、洗濯は禁物だ。汗をすすげば十分で、すぐに、いい方法を見つけた。衣類をそのままロープにかけて、夜露にうたせるのである。林内の過飽和水蒸気が繊維を核にして凝結するので、したたる露で汗がすすげる。優雅なやり方だ。

林の中に道が無いわけではない。森林産物の採集に入る人々がおり、その踏み付け道が結構たくさんあるが、適当なガイドを見つけるのは容易ではない。地元のムラユと呼ばれる人々は、普通、林の奥深く入りたがらない。無理に頼んで同行してもらっても、手助けにはならない。河の方へ、明るい林へと、こちらの意図を無視して歩くからだ。その心理はよく判る。一歩入るとまったく見通しの利かない閉鎖高木林の圧迫感、恐怖感は強烈である。

(古川久雄『インドネシアの低湿地』頸草書房、1992 より抜粋)

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